石川県・七尾市・長齢寺

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【 概 要 】−案内板によると「 前田利家が七尾城主になった天正9年(1581)、越前高瀬(今の武生)宝円寺の大透和尚を招き開山とした。利家の母長齢妙久大姉の葬送の導師を勤めたので、以後長齢寺と改称した。利家が能登で建てた唯一の寺院の由緒から前田家と非常に関係が深い。高徳院(利家)、瑞龍院(利長)の石廟、七尾城代安勝、利好の墓碑がある。」とあります。長齢寺は七尾二十四ヵ所地蔵尊札所第四番に選定されています。当時は宝円寺と称し、利家が金沢に移ると、城下には宝円寺が建立され歴代前田家の菩提寺の1つになっています。2代前田利長も深く帰依し、隠居城となった富山城(富山県富山市)や高岡城(富山県高岡市)の城下にも宝円寺を建立し、利長が死去すると高岡の宝円寺は利長の菩提寺となり寺号を瑞龍寺に改称しています。前田安勝は前田利春の3男、利家の兄に当たる人物で、利家が越前府中城の城主に就任してから利家に従い、信任を得ました。前田家の有力一族として重用され、天正10年(1582)の能登棚木城攻防戦や、石動山鎮圧戦、天正12年(1584)の末森城救出戦などで大功を挙げ、利家が金沢城に移ると七尾城の城代1万3千5百石に抜擢されました。朝鮮出兵の際には前田軍の補給を担当したものの文禄3年(1594)に死去し菩提は長齢寺に葬られました。跡を継いだ利好も引き続き七尾城の城代に就任しましたが慶長15年(1610)に死去し父親と同じく菩提は長齢寺に葬られました。
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