石川県・七尾市・七尾城

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【 概 要 】−七尾城(石川県七尾市)の築城年は不詳ですが室町時代、能登守護職にあった畠山氏代々の居城で、4代義元の代で基礎を築き、8代義続、9代義綱の代に大規模な整備が行われたと思われています。七尾城は標高310mの尾根上山(城山)に築かれ本丸を中心に二の丸・三の丸・西の丸・調度丸・遊佐屋敷・温井屋敷・寺屋敷・桜の馬場などの主要な郭の他、おびただしい小さな郭が7つ尾根沿いに備えられています(七つの尾根があることから七尾城と呼ばれたとも。)。七尾城の石垣は登城側である北面に重点的に整備され、2〜3m程の高さの石垣を数段に分け高く積み上げるといった独特の風景が見られます。七尾城は当時、難攻不落、天然の要害などとも呼ばれましたが、天正5年(1577)上杉謙信の能登侵攻の際、謙信懐柔派の遊佐続光と交戦派の長続連が対立したことで城内が分断され、あえなく落城しています。織田信長の家臣で北陸方面の司令長官だった柴田勝家の与力大名である前田利家は、北陸侵攻の功により能登国の領主に抜擢され、七尾城に入ります。天正9年(1581)には大規模な改修整備を行いましたが、七尾城は山城で高所にあった為、政治、行政的には不向きで七尾港に近い所口村に小丸山城を築城し領内の中心地とし、七尾城は小丸山城の詰城的存在となりました。天正11年(1582)賤ヶ嶽の合戦で羽柴秀吉側に付いた利家は新たに石川・河北両郡を加増されたことで金沢城へ移り、七尾城の軍事的意味合いが次第に薄れ天正17年(1589)に廃城となります。七尾城は現在も保存状態が非常に良く、当時の大規模山城の威容が分かるものとして昭和9年に国指定史跡に指定され、春日山城・小谷城・観音寺城・月山富田城と共に日本五大山城の一つにも数えられています。七尾城は日本100名城に選定されています。
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