石川県・珠洲市・平時忠一族の墓碑

  石川県の観光と歴史的建築物(ホーム)珠洲市>平時忠一族の墓碑
【 概 要 】−平時忠は寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いで敗北すると捕縛され、能登国に配流、文治5年(1189)に配所で死去したと伝えられています(後裔の則貞家の伝承では元久元年:1204年)。墓所は室町時代後半に整備された思われるもので、時忠の墓と伝わる最も背の高い五輪塔を中心に一族の墓が並んでいます。平時忠卿及び一族の墳は石川県指定史跡に指定されています。
スポンサードリンク

平時忠一族の墓碑(珠洲市):周辺の見所

法住寺 春日神社 見附島(軍艦島) 禄剛崎 平時忠一族の墓碑

 ※ 当サイトへの相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。又、回答はあくまでも当社の考えであって1つの参考意見です。ご自身の責任でご判断下さい。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当社は一切責任を負いません。又、回答を直接的(当社の名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。 尚、リンクは自由ですが画像(写真)や文章等の利用は遠慮させていただいております。御理解の程よろしくお願いします。