【 概 要 】−願慶寺は奈良時代の泰澄が退治した龍(白蛇)を封じた祠が始まりと伝える寺院です(現在、白蛇は願慶寺の守護神として寺を守っているそうです)。その後、衰退したようで記録等はなく、戦国時代の永禄元年(1558)に浄土真宗の寺院として再興されました(由緒上はこの年に開山した事になっています)。当時の加賀国は一向宗の宗徒により事実上運営され自治領の形式を取り、山之内に設けられた願慶寺もその一翼を担っていたと思われます。しかし、織田信長が一向宗の排斥に乗り出し、それに抵抗した一向一揆が全国各地で発生し、本山であった石山本願寺では大規模な攻防戦が複数年にわたって繰り返されました。その際、本願寺13世教如上人が石山本願寺で戦うのを不利と悟り加賀の願慶寺に複数年隠棲したと伝わっています。その真偽は不詳ですが、一向一揆が織田信長に掃討される中、願慶寺の境内を構える吉野村をはじめ周辺7ヵ村が最後まで抵抗を続け、最終的にはそれらの村々は全て焼き討ちとなり数百名に上る犠牲者と処分者を出した事から「七か村なでぎり」と呼ばれるようになり、織田家滅亡後に願慶寺はその聖地として、本願寺から宗祖御影や教如上人の御寿像の下付がありました。寺宝にも教如上人免許と伝える本尊や教如上人筆の「九字・十字」の名号などを所有し教如上人との関係性が窺えます。
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