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【 概 要 】−小松城の築城は天正4年(1576)、加賀一向一揆の中心的な立場の1人若林長門が建てたのが始まりと伝えられています。天正8年(1580)に一揆が平定されると、織田信長の家臣村上義明が6万6千石で入ります。慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命で丹羽長重が12万石の領主となりますが、関が原の戦いで西軍に付いた為、加賀藩に組み込まれ、前田長種が城番となります。元和元年(1615)一国一城令が発令されると小松城は一時廃城となりますが、寛永16年(1634)、3代藩主前田利常の隠居城として幕府に認められます。既存の小松城を本丸とし、周囲に二の丸、三の丸、葭島、琵琶島、中土居などを増築、梯川と沼地を利用することで城域の3割が水堀となり「小松の浮城」の異名をもちました。城域は広く約56万uは金沢城の2倍に値し天守閣は建てられなかったものの天守台の上には3重櫓を配し威容を誇りました。万治元年(1658)、前田利常は病没後も小松城は存続し小松城代・小松城番が置かれて明治に至りました。明治5年に小松城が廃城になると全ての建物が取り壊され鰻橋御門だけが来生寺に移築され唯一の遺構となっています。その後も水堀の埋め立てや石垣や郭の形状などが整地、市街化され天守台と本丸の一部の石垣だけがかろうじて残され小松市指定史跡に指定されています。
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