石川県・金沢市・にし茶屋街

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【 概 要 】−にし茶屋街は文政3年(1820)、加賀藩12代藩主前田斉広が金沢町奉行山崎頼母らの口添えにより許された旧遊郭です。この地は北国街道の犀川大橋に隣接した交通の要衝で、加賀藩では区域を限定して妓楼を集め入り口には大門や番所を設け遊郭としました。当初は石坂茶屋町と称していましたが天保2年(1831)に茶屋制度が廃止され、慶応3年(1864)に再度公許されると「西の郭」などと呼ばれるようになりました。明治時代以降はさらに栄え、にし茶屋街はひがし茶屋街主計町茶屋街とともに、金沢三茶屋街の一つに数えられ、金沢城の城下町の社交場との地位を確立しました。当時のにし茶屋街は上町と下町に分かれていたそうですが現在は上町のみが町並みとして残されているだけで、下町の方は衰退したようです。にし茶屋街の茶屋文化は健在で大正11年建築された西検番事務所では多くの舞妓や芸妓の稽古場として現在でも使用され町を歩くと時折三味線の音が聞こえてきます。にし茶屋街はひがし茶屋街や主計町茶屋街に比べると路地や町の広がりはあまり感じませんが、近年は修景計画が進み、茶屋建築や石畳などが復元され当時の町並みの1部を見ることが出来ます。又、にし茶屋街は小説家島田清次郎が幼少の頃に過ごした場所としても知られ、小説の舞台にもなったことから「金沢市西茶屋資料館」の内部には島田清次郎の資料も展示されています。
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