石川県・羽咋市・気多大社

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 概要: 気多大社の創建は不詳ですが古くから能登国一ノ宮として広く信仰を集めた神社で、伝承では祭神でもある大己貴命(大国主命)が出雲から船で七尾小丸山に入り、能登を開拓し守護神となり崇神天皇の時代に社殿が造営されたと伝えられています(元々は地元神である気多神が祀られていたが朝廷が能登を重要視した為、大己貴命を祀るようになったとも言われています。)。気多大社の記録上の最初は天平20年(748)、当時の越中国司大伴家持が気多大社の参拝に訪れ「之乎路から直超え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」の詩が万葉集に残されています。気多大社は朝廷から崇敬され貞観元年(八五九)には従一位に延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では加賀国、能登国唯一の名神大社に列しています。気多大社は歴代の為政者や領主からも崇敬され建保5年(1217)には源実朝が社領11町を寄進した他、建武年間(1334〜36)には後醍醐天皇が社殿を改修、永禄12年(1569)には能登国守護職畠山義綱が社殿を再建(気多大社の摂社若宮神社本殿は当時のもので室町時代末期の神社本殿建築の遺構として貴重な存在で国指定重要文化財。)しています。江戸時代に入ると加賀藩主前田家から庇護され社領350石が安堵され社殿の造営や改修が行われました。気多大社は斉衡2年(855)に神宮寺が置かれると神仏混合し常住僧が置かれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式を廃し神社として独立、明治4年(1871)には国幣中社、大正4年(1915)には国幣大社に列しています。気多大社は千葉県の香取神社、茨城県の鹿島神社、福井県の気比神宮と共に日本4社の1つに数えられています。
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